2009年04月05日

アディクション 第3章 フラッシュバック2

  あの時点でははっきりしなかったが、彼(U先生)は要するに私に「ストレスをためよ」と、提言しているのだった。
  以前にも伏線はあった。「殴り倒す」から遡ること9か月ほど前だ。彼に教室から家へ送ってもらう車中、私はほとんど無意識に、
 「B舎のやり方ではイジメがふえる」
  と言ったのだった。彼の返球は「学校教育は抑圧なんだ。だから私塾の方が…」
  そのとき、私は自分の発言が失言だとは思わなかった。しかし、その後の冬期講習会の講師研修の現場でピーチクパーチクつっこまれたのは、あの車内での発言が元だったと、どうしても思えてならない。
  思いのままを言ってしまった私にも非があったかもしれない。それが彼を抑圧し、思いもよらぬ返礼が来た、とも思える。
  では、いついかなる場合でも思いのままを発言してはいけないのだろうか。
 「火事だ!」 「どろぼー!」
  非常事態の際には、このような叫びが必要だ。目の前の緊急事態には人の援けがいる場合がある。
「そういうな」という方が無理だ。しかしどうだろう、企業など組織の日常で、「叫び」は個人の内部で圧殺されたり、ごまかされていないだろうか。
  それらはストレスとなり、溜まり、円形脱毛症・胃潰瘍・精神疾患へと発展していく。ヘタすりゃ死だ。言いたいことも言えず、忍耐に忍耐をかさねて階段をのぼっていったとしても何が残るのだろう。
  本当に必要なものは手に入るのか?
  日々の糧の保証はあるかもわからない。有名企業の幹部にでもなれば、第三者から一目置かれる?
  それとも、プライドが満たされる?

  これまで、受けたり就職した企業のうち、すくなくとも3社はもうこの世に存在していません。
  各企業の幹部が舵取りを誤ったから? 私の判断はちがいます。
  それら企業は、もともと間違った経営をしていたからです。
  つけくわえるなら、間違った世の中に認められるということは、大半が間違っているんです。 
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2009年04月04日

アディクション 第3章 フラッシュバック1

  過去の光景が、すぐ目の前にあるように感じられることだ。
 「ああ、そういえばあんなことが」。あったよ、いろいろと。
 さる学習塾、U先生本性発覚事件、とでも言いましょうか。
  私の独善で、さる教室でひと悶着あり、彼に呼び出された時のこと。
  私はありのままを伝えた。しかし、彼いわく、「ある食堂で食べ物を出された。それは腐ってた、どうする」。
  本来ならどーするこーする問題じゃない。答えは決まってる。
 「これは腐ってます。危険だから皆さん食べないように」。
  彼は私のロイヤリティーを計った。私はそれを察知して「時と場合による」と。
  しばらく気まずい時があって、両者その場を離れぎわ、
 「今度あんなことを言ったら、殴り倒す」。
  静かだったが、ドスのきいた、底意地の悪い視線ですごまれた。私の返答は彼の目を見つめ返すだけだった。
  それまでどうだったのかわからないが、彼とか彼の同僚幹部らは、状況・発言内容の差こそあれ、同様なことをして講師たちを統括してきたと思われる。なぜなら『社風』というものに、全員染まっており、発言の根幹をなす部分は統一されているだろうから。
  私の信ずるキリスト教も批判されたし、その他もろもろの非難攻撃もあった。宗教弾圧どうこうより、後で思うに、彼が哀れに感じられた。
 「ああいう姿勢で企業のカンバンを守ってきたのはいいだろう。だけど、講師ってのは、勉強だけ教えてりゃいいのか? ときに生徒の生活上の相談にのってやるのも必要じゃないのか」。 
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2009年04月02日

アディクション 第3章 信仰心のゆがみ3

  さて、話を信仰にもどすと、私は一度離れてみようかな、と思っています。
  教会につながれたことは、私にとってこの上なく幸福なことだったと思えますが、救いの確信が薄れてしまい、疑問が次から次へと噴出するようになってしまいました。聖書にもあまり目を通していません。ただ、地獄へ堕ちるのを防ぐだけの目的で教会に行くのなら、信仰を持った意味が半減してしまうのではないでしょうか。
  ◎疑問その一…神様がいらっしゃる、ということ。
  現在、地上にご不在といわれている。人事そのものには介入しないが、「神様が働かれる」のはなぜか。良きにつけ悪しきにつけどのようなことになるせよ、それは「結果」にすぎないのではないか。
  ◎疑問その二…人類の起源について。
  サルから進化したという説は全面否定。古代シュメールの石板や、アフリカ・ドゴン族の伝承からは、宇宙から「神様」が来られ、人類に知恵を授けたという説があり、説得力がある。
  ◎疑問その三…イエス様について。
  誕生、イスラエルの人びとを導いたことは聖書にある通り。また、われわれの罪の身代わりとして十字架について下さったのも疑っていない。しかし、幼少期・青年期の記述が欠けていたり、なぜ復活されたのか、もっと具体的な記述があっても然るべき。
  ◎疑問その四…聖書について。
  書いてあることを否定しない。また、否定してはいけない。しかし、書かれていないことがあるような気がする。ヨハネの黙示録に「書き加えてはいけない」となっているから、たかだか一信者の私が「これを」とは言えない。聖書には、心の健康管理が繰り返し強調されているが、肉体の健康管理法はごっそり抜け落ちている。
  ◎疑問その他…この世に氾濫する宗教、価値観。
  神様が存在される。信じる者にとってそれは疑いようのない「事実」。残念ながらそれを証明することはできないが、“いない”と証明するのも不可能に近い。
  神様が真におひとりで万能ならば、このように世に宗教が溢れなかったのではないか。また、民族、人種によりイデオロギー・価値観の差がある。加えて60億以上もの人間がいるなら、その数だけ違う考え、行動様式がある。その点では、ひとりひとりが「教祖」だとも言える。

  私にとって一番の疑問は、神様がなぜ人類のこのような状態を放置されているのか、ということです。
イエス様は、しばらく世の中が混乱したあとに終末が来る、「この世は滅び去る」とも言っておられます。
その前にクリスチャンだけは教会ごと天にひきあげられて、永遠の命を得る・・・とも。
  この世に楽園は決して存在しないのでしょうか。汚れて真っ黒なこの世界から見込みのある者だけをピックアップして連れていき、生きさせるとは、選民思想でしょう。
  その他の小さな疑問は割愛しました。永遠の命を得られるだけなら、私は教会に行きつづけられません。
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2009年04月01日

アディクション 第3章 信仰心のゆがみ2

  私を含め、人間は目の前のボタ餅とか、ちょっと見た目にとても弱くできているようです。つまり、金銭、地位、名誉などといったものです。事実、今の私には強烈な物欲があり、やれデジカメ、預貯金などが欲しいなどとしょっちゅう考えている有り様です。奥さん子供も必要でしょう。
  テレビが古くなって映りが悪くなったので、きのう大手家電量販店に買いに出かけましたが、入社入学シーズンで、しかも週末だったので、それは多くの人でごった返していました。あそこには家電製品が広い売り場にあふれていて、片っぱしから売れているようでした。

  人間相手にとことん、たとえば「人生について」議論するとかが最近少なくなっていると聞きます。
  昔の大学生は、よくそんなことをつまみに飲み明かしたりしたでしょうし、人から与えられたテーマを鵜呑みにするのではなく、自分たちの創意工夫で味付けして、まがりなりにも自らの文化を持っていたものでした。
  それが最も激しい形で出たのがあの「学生運動」だったと思います。
  考えてみると、小中高の学校でする勉強はスタイルの押しつけです。くだらないものが多すぎるとかねがね感じていましたが、それは上からの指令を守れる人間を作りだすための方便だったのです。
  家庭・学校教育の矛盾や行き詰まりが取り沙汰されています。が、一方では、ペーパーテストができるばかりにシステムのエスカレーターをかけあがっていく集団もいます。規格に当てはまれば「いい子」、そうでなければ「どうぞご勝手に」です。その意味ではこの国の社会は実に機能的、かつ機械的です。ですから警官の拳銃欲しさにナイフで襲いかかる中学生が出たりするのでしょう。
  しかし、この場はそういった社会現象の分析検討の場ではありませんので、これ以上詳しく書きませんが、これだけは言えます。・・・人の気持ちを思いやったり、「自分がこれをやられたらどう思うか」を想像するゆとりのない人間がとても多くいる、と。
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2009年03月30日

アディクション 第3章 信仰心のゆがみ1

  拝啓、春風が肌に心地よく感じられる頃となりました。
  今年の冬は心臓発作に見舞われるなど、健康問題に一層の関心が向く時期でした。
  信者の皆さんの中には、かならずしも健康状態が万全でない方がいらっしゃるようですが、神様がお守りになられるよう願っています。
  
  人間は決して自分で望んだからといって生まれませんし、自分の名前も親などからつけてもらうしかなく、その意味で他者依存の動物だと思えます。そしてどんな形であれ、“死”という終わりは免れ得ません。最初と最期を自らの意志でどうしようもない一生の中で、「うまくいった・いかなかった」 「得した・損した」 「気分が良かった・悪かった」などとやっているのですからお笑いです。
  出発からゴールまでの旅路もこれまたいろいろで、歴史を変えうる人もいたかと思えば、住居も持たず日がな一日路上で暮らす人びとも存在しています。このような差に、こんな答えをする人がいます。
 『人間の命の重さに差はあるかもしれないが、尊さは同じだ』 
  それではなぜ同じ尊い命を持つはずの人間が、神様の前に皆平等なはずの人間が汚職政治家・官僚となったり、犯罪を犯したりするのでしょう。
  私にせよ、過去を振り返ると吐き気や、うら寒さにさいなまれる時さえあります。それらの答えは、牧師先生の口から、または聖書の中から見出すことができました。
  どこへ行くかも知れず、空中分解しそうな世の中で、しっかりと信仰を持ってあゆんでいる人は幸いかもしれません。闇夜の道に明かりを灯しながら進むことができ、喜びがあり、“死”で、いったんこの世を去っても、永遠の天国への道があるのですから。
  しかし、どういう加減か、教会から一歩外へ出ると、神様・イエス様を信じている人はかなり少ない。仮にいたとしても、カトリックやものみの塔などの異端だったりしますし、または多数の信者がいる新興宗教であることも多いのです。その教祖はというと、ノーベル平和賞欲しさに年がら年中裏で手を回しているといった俗物根性の持ち主であったりします。
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2009年03月29日

アディクション 第3章 ある日の手記から2

  その昔に、日蓮上人いわく、「蔵の財より身の財、それ以上に大切なのは心の財」
  物質的な、目に見える「お金とか財産」より、健康、そして心の豊かさが一番だ、と彼は教える。現代人にはとても耳の痛い格言です。
  この国では食・住・衣が足り、余った分を何にふりわけるかが重要なのです。また、今日びの若者たちに「一番何が欲しいですか」と訊けば、答えの大半は「おカネ」でしょう。しかし、物質文明だけを悪玉にはできません。かといって精神面にのみこだわるのも問題です。
 「世の中には心を尊ぶ唯心論、モノを尊ぶ唯物論とがある。このふたつは相反する考え方だが、どちらか一方に偏ってしまうことこそ幸福からますます遠ざかっていく行為だ。そのどちらにも偏らない『中道』こそが大切なのだ」
  この発言者はお釈迦様です。時代を超えたメッセージでしょう。
  また、,<飲む・打つ・買う>なんていいます。男の甲斐性。
  男という生きモノは現実とロマンのあいだに脚を片方ずつ載せ、それを交互に動かし(または、ばたつかせ)ながら、息をしているのではないでしょうか。この三つのセットを同時進行した場合、多くのおカネを消費することは目に見えています。とくにギャンブルは、負けつづけると投資額は天井知らずになります。これは、女性の場合も同じでしょう。
  道楽にかまけていれば、表情も自然とだらしなくなっていくのかも知れません。
  思うに、人間に大事なのは“顔の造り”よりも“顔つき”でしょう。前者の場合、どうしても気に入らなければ美容整形になりますが、後者は精神面の影響が多大です。
 「高地や極地に咲く花は、なぜあんなにきれいなのか?」
  たどりついた答えは・・・
 「高地や極地では環境がきびしい。長い冬を経て、すぐに去ってしまう夏のあいだに、植物は生きるよろこびを謳歌するように、競って花を咲かす。それは環境(外的要因)のきびしさが植物の内面の美しさを引き出したのだ」
タグ:先人の智慧
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2009年03月27日

アディクション 第3章  回顧 

ある日の手記から1                                                                         
                                                                                
 「他人が何といおうと、これこれこうするために、こうしたい」・・・それがエゴの正体だと思うんです。その実現のため、私たちにはギャンブルがありました。家庭や仕事のストレスの中和剤としてではなく、ギャンブルはギャンブルをするため、にありました。
  その快楽にのめり込み、浸り、自分を見失っていくなかで、「おかしい。どうにかしなければ」と、気づいたでしょう。見失った自分や社会生活を取りもどすために、GAのみなさんは真剣に回復の道を模索しつづけています。ギャンブルのために周囲に迷惑までかけてしまったのはエゴのためではないでしょうか。
  現実的にはどうにもならないやる瀬のなさを、つかの間の夢に浸ることで忘れ、まるでテレビゲームの主人公になったかのように、偽りのプールで泳ぎつづけていたのです。
  それは、間違ったやりかたです。
  強迫的ギャンブラーに明日はない。やって来るのは「カネ払え」という、矢の催促だけでした。間違ったロマンの追及の果てに待ち受けていたのは、何者かに食われ、ぼろぼろになった人間性だったのです。
  忘れましょう、そんな悪夢は。見ないでおきましょう、くだらないギャンブルのマボロシは。たとえ受像機があっても、ほかの番組を見るか、スイッチを入れないでおけば心はさわがない。
タグ:エゴ 人間性
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2009年03月22日

アディクション 第2章 ローン・シャーク

  ローン・シャーク・・・ひとりぽっちの鮫、ではなくサラ金の英訳だ。獰猛に獲物に咬みつき、骨まで砕いて食べちらかすようなイメージ。
  公金横領、着服、金融機関・コンビニ強盗…それら犯罪の大半には「サラ金」の影が常にちらつい
ている。もちろん、ギャンブルとも密接な関係が。
  政治家が役所がもっと消費者保護を念頭においていたならば、獲物を食いちらす獰猛企業やパチンコ店を規制できるはずだ。
  ならば、「それらに近づかないほうがいいよ」と誰かは言うだろう。しかし、サラ金のカードは今や、全国民の六人にひとりが持っている。かなりの浸透度・・・それにはお手軽な自動契約装置やCD機の普及が見逃せない。いわば機械で借金の後ろめたさを緩和させ、恥じらいの意識を債務者から取り去ることに成功したのだ。
  また、大手金融機関も個人向け・小口ローンの販売を開始した。費い途は自由。とはいえ、本当に困窮していて明日の食費にも事欠いている人が利用しているのか…というとさにあらず、大半は遊興費に消えていくのだろう。
  大手新聞・民間テレビ局の対応もおかしい。それはスポンサーにサラ金業者がついているからだ。広告収入をけずってでも批判する愚か者はいない。たとえ身内や親しい娘がレイプされても知らんぷりだ。
  企業利益の金科玉条の前には道徳意識はあまりに無力なのか。
  それでは教育で、正しいローンの組み方を指導してはどうか。
  しかし、避妊対策やエイズ対策の感染予防法は伝授しても、実務者を学校に呼んでの現状報告さえ聞いたことがない。卒業生で高価な買い物をする者が一切いないなら話は別だが、即金で住宅や自家用車を買う者がどれだけいるというのか。
  また、人のフトコロを狙った悪質な詐欺にひっかからない方法を伝授すべきなのに、中学の社会科では“クーリング・オフ”ぐらいしか教えない。受験に関わらない項目は教えたって無意味だと思っているのだろうか。本当はとても大切な事案だ。
  パーセンテージは不明だが、遊興費としてサラ金からカネを借りてギャンブルに費っている総額は、年間どれだけになるというのだろう。一億や二億ではないはずだ。俺のような「恥知らず」が、新たにひとりでも生まれないことを願うばかりだ。
  それで、パチンコ・パチスロ業界の窒息状態は、ついにサラ金業界にも飛び火することになる・・・。

  第2章  断罪  終わり              第3章へ続く

タグ:サラ金 犯罪
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2009年03月21日

アディクション 第2章  親友2

  週休二日目、土曜。市内・狸小路のはずれにある焼鳥屋・・・最初はお互いの職場での近況報告だった。グラスのビールを二、三杯干していくうちに舌がなめらかになってきた。
  俺たちは奥まった座敷に向かい合わせに座っており、となりの席はまだ客がいない。俺はハツ、達哉は鳥精を口に運んだ。
 「…それでな、20万円振り込んだのさ。知的障害者訓練施設に。それ以来、何の音沙汰もないってわけだ」
 「へぇ…今の世の中にそんな古風な、魔法を使う連中がいるなんてなぁ。おれは魔法使ったことも使われたこともないから、よくわかんないけど」
  達哉は一歳年下で、タメ年同然である。小樽商科大学を出、新卒で大手電機メーカーの子会社に入社したものの、一年ほどで退社し、スキースクールのインストラクターを経て同じ塾でアルバイト講師をやっていた。それは五、六年前であり、弁護士会に借金の相談に行った時期とかさなっている。
  その後の道。達哉は一度職場を変わっているが、会計事務所に。俺は短期バイトを経て、ミタニ・コンフェクショナリー札幌工場で働くことになった。
 「そのリナちゃん、それまでは一面識もないんだよな。でも、健のことをあらいざらい知っているとはな。
個人情報バンクとか、住民基礎台帳から盗み見たとかじゃないのか。それじゃなかったら超能力としかいいようがないよ
 「何せ、相手は世界魔女協会だ。パチスロで勝った金額まで知っていたんだぞ。凡者(ただもの)でないことは確かだ。小さい魔女だが、精神年齢が高そうだし、油断のできない相手だ。…でもおかげで今週はギャンブルをやめていられる」 
 「その子、おまえにギャンブルをやめさせるために現れたんじゃないかな。そのとばっちりをくらって全国のパチンコ・パチスロ店が営業できなくなったが、これは今までの店と客のあり方がおかしかったのを修正しなさいってことかもしれない。おれの見ているのは住宅の内装設備会社とか精神科医だけれど、パチンコ屋とサラ金はないよ。今まで一週間パチンコ・パチスロ店は全面休止で売り上げも収益もゼロで、もしかしたらサラ金も収益が減っているかもしれないな。うん」
  俺はタバコに火をつけた。ふーっ、と息を煙とともに吐き出す。「そうかも」と内心思い、煙が禁煙した達哉にかからないようにもう一服した。
 「借金返済も残り一件、10万円を切ったし、あと半年で“放免”だ」
 「しかし、サラ金もこの低金利時代に年利18パーセント近くも利用者からまきあげて、阿漕に商売してる。そのカードはもう国民の六人にひとりが持ってるんだろ。いいや、おまえに文句言ってるんじゃないよ」
  俺たちはその後、シンガポール風ダイニングへ足を運び、その店で他愛のない話をして解散した。


 

タグ:飲み会
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アディクション 第2章  親友1

  「…開店の見込みは立っておりません」
  テレビをつけたら、いつものキャスターが尻切れトンボのようにしゃべっていた。とある大手チェーンと思われる一店の前で、出張してまで。
  どうせなら永久に再開してほしくないものだ。貧乏暮らしも板についてきたし、わずかながら貯金もできた。あと半年で返済生活ともおさらばだ。
  グリーンスリーブス…携帯の着メロがひびきわたった。
  小窓を見ると『西村達哉』。以前、学習塾のバイトで知り合った親友だ。
 「着信記録があるのはわかってたんだけど、前任者から仕事をひきついでな、今になっちまった。わりーわりー。仕事が終わるの毎晩の一時二時ヨォ」
 「会計事務所も大変だな。一段落ついたのか?」
 「まぁな。今日は家でビールかっくらってるよ。そこでだ、明日飲まないか。ひさしぶりに」
 「オッケー。ちょっとショッキングなことがあったんで、誰に打ち明けようかとおもってた」
 「ショッキング? おれでよかったら打ち明けられたい。中身はどんなの? ケーキはもう見るのもイヤだとか」
 「電話じゃ何だし、とにかく会って話したいんだ」
  それから待ち合わせ場所を話し合って、時間も決めた。達哉はあいかわらず明るく、さばさばしていた。それがむしろ今の自分には救いだった。
タグ:着メロ
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2009年03月20日

アディクション 第2章  躁鬱病

  神様・悪魔の議論はさておいて、“病気”に関して。
  先にも述べたが、俺には躁鬱の気がある。毎年、春先あたりには調子が悪いといった「波」がある。
  真冬の札幌には積雪があり、気温は低いが明るいイメージがある。しかし、雪解けシーズンは雪も車の排気ガスなどでよごれていて、グレイな印象だ。昼の、太陽の出ている時間は長くなっているのに、心は対照的に沈鬱なのだ。
  沈んだ心を華やがせるための一手段が・・・ギャンブル。負ければますます落ち込むが、ラッキーセブンやビッグボーナスを出せば、その光と音響で心は沸き立つ。昼食も忘れて打ち込める。依存対象にどっぷりだ。
  だが、勝つにしろ負けるにしろ「軍資金」は必要。今までの経験からでは2万5千円あたりが分水嶺だ。それ以上投資したら負けの確率が飛躍的に高まる。
  パチンコ台ではフィーバーの登場がひとつの転機だったろう。
  それまではしばらく鳴かず飛ばずの業界だった。朝鮮系の経営者も多く、学校を出てもこれといった就職口もさしてなく、優秀な人材もかなり業界に流れていたようだ。しかし、フィーバーはいわゆる射幸性が高い。コンピュターが独自に、ランダムに抽選をし、設定により確率は変動するが、図柄と数字がそろうかどうかが決められるのだ。大当たりが出れば万事幸いだが、出なかった場合が問題だ。
  投資をつづけるかどうかはその人次第だが、甘い幻想にとらわれていると、出資額がふくらみすぎて「大負け」「大やけど」になってしまう。ギャンブルを、純粋に遊び100%と、とらえていれば、損失も減るだろう。
  地域経済の振興策としてカジノを開けばどうかという意見がある。だが、結局バカラもルーレットもスロットルマシンも賭博である。賭博=博打である。博打とは「場が朽ちる」という語源があり、やっているうちにどんどん痩せ細っていく印象を受ける。経済の活性化はいいとしても、異常なギャンブル党には煙たい存在でしかない。
  ・・・金曜の夕闇が迫ろうとしていた。運よく今日パーラーフェニックスが店を開いていたとしても行く気にはなれない。まとまったお金は振り込んでしまったし、気が萎えている。
  あのリナのことも気になった。今回の騒動の張本人と言っていい。まんまと乗せられてしまった。俺は威力営業妨害で逮捕されてもおかしくないのだが、原因から究明できていないのだから、司直の手が伸びてくるとは考えずらい。
タグ:病気 司直
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2009年03月19日

アディクション 第2章  天使と悪魔2

  悪魔(サタン)は外界に、実体をもって存在するのだろうか。
 「それが見える」という人も中にはいる。「大昔、神と悪魔は表裏一体の存在だった。それがあることが契機で分離していったのだ」という人も。
  神はどうかわからないが、悪魔は存在すると思う。場所は心の中に。悪魔の“悪”という字は心に開いた穴という意味だし、実体は煙のようであってつかめないが、確かにいるのだ。それはたくみにささやいたり、そそのかしたりして、あらぬ想像をさせたり、時には違法行為をさせるのを手伝う。
  俺はある学習塾で講師のバイトをしていたとき、現金であずかった月謝をギャンブルの寺銭に化けさせたことがある。完全な横領行為。それ以前の出版社でも、スポンサー直払いの広告料を着服した。双方とも違法であり、銀行員だったら間違いなくクビだ。幸いどちらとも弁済して刑事告訴には至らなかった。
  このようにカネに公私の区別がなくなると末期症状なのだ。
  また、俺は夢の中で悪魔とも天使とも出逢ったことがある。
  前者は筋骨隆々で巨大な身体をしており、廃墟のビルディングの片隅で、頑丈そうな鉄扉をやすやすと突破してまでこちらに迫ってきた。
  後者は学習塾で横領し、しかもサラ金への返済に窮していたとき、白装束で頭上に光輪のある、おだやかな表情の“いかにも天使さん”たちが、何人も列をなして小さな石の足場に載って浮遊しながら笑みをうかべているのを見た。
  どちらとも日常では絶対見たことがなく、なぜそのような夢を見たのか、論理的な説明は困難だ。
  もうひとつ、非現実的な夢として“ビーナス”を見た。絶世の美女、と形容してもありあまるほどの美女だった。そのあと、一人目の彼女ができた。美人の。 
タグ:非現実
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2009年03月18日

アディクション 第2章  天使と悪魔1

  その悪魔についても言いたいことがある。
  実は以前に、「パチンコのためなら悪魔に魂を売る」と、内心で誓ったことがある。それから依存症が程度を増したのは事実なのだ。“誓い”は実家近くのパチンコ屋でだった。十年も前の話だが、はっきりと憶えている。
  悪魔との簡単な、書面のない契約で俺の心は蚕食された。
  三十路をむかえて、キリスト教会につながった。最初はモルモン教会とか統一教会に反発を感じ、それら異端勢力を小説で弾劾したくて資料を請求したのがきっかけだった。
  始まりは求道者であり、聖書の勉強を通して、いわゆる世間一般で呼び習わせられている“悪魔”の正体を知った。
  その元締めは堕天使ルシファーなのだ。前身は天使であり、なみはずれた力と美しさとを誇っていたが、その非凡さ美しさゆえに思いあがり、神に反旗をひるがえしたのだった。
  以降、ルシファーは翼を切られ、地上に投げ落とされたが、人間を悪の領域に引きずりこもうと日夜躍起になっていると、牧師先生やほかの兄弟姉妹から教わった。ルシファーが神に対する反逆行為を継続中なら、現代人は、特に日本国民はどうなのだ?
  教会に行かなくなった身分で恐縮だが、超唯物的ではないか。たとえば結婚生活は物質的に充足していないと継続不能だ。聞いたところによると、ある地元銀行では、年頃の女子行員のもとに「名簿」が回ってくるらしい。それの中身は身持ちの堅い男性公務員の氏名の羅列であるという。
  オマンマの食いっぱぐれは避けねば。最新家電をあるていど揃えることも必要だ。
  パソコン、プリンター、デジカメ、DVDレコーダー…。現代の三種の神器は何だと特定はむずかしいが、電脳主体になっていることは間違いない。
  神か悪魔か判然とはしないが、あのリナはコンピューターを嘲笑っていた。「簡単にひねれる」と
  現代人たちが神ともあおぐ電脳ネットワークを赤子同然に扱うとは、すでに神の領域ではないか。
  物質的欲求が高まるにつれて、カネへの欲求も高まるが、一般庶民の所得には限りがある。だからギャンブルが存在する、とは言えまいか。何しろ、勝てば「臨時カネ持ち」になれるのだから。
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2009年03月17日

アディクション 第2章  魔物

  カネには魔物の一面がある。
  あったらまず贅沢をしたくなる。衣食住をグレードアップし、株式投資に投資信託、海外の有名リゾート地に別荘を構え、移動にはファーストクラスのジェット。もっとあったなら自家用ジェットだ。そして自家用クルーザー。暮れなずむ静かな洋上で最高級ワインを開け、男だったらスーパーモデル級の美女たちに囲まれて夜をすごす…。
  しかし、ギャンブル依存者でそんな見果てぬユメを実現した者はいないだろう。麻薬中毒患者にしても同じ。ただ、ギャンブルの胴元では、そんな生活を実現している者がいるかもしれない。
  他人を泣かせてまでカネを得ている者もいるだろう。ぼったくり同然のグレーゾーン金利で儲けている金融業者、年利数千〜数万パーセントの闇金業者、紹介屋、麻薬組織、振り込め詐欺団。カネ儲けを確実にしている者たちは、すくなくともギャンブル依存ではないだろう。まっとうな仕事をしている人たちはなおさら。
  依存者は一を百にしたいと願うが、カネ持ちは百で一を現実に得ている。
  また、カネを手段にするか目的とするかで道は大きく二手にわかれる。生き方がちがってくるのだ。
  カネの亡者は悪魔に魂を売ったも同然だ。
タグ:カネ
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アディクション 第2章 ウェブサイト

  金曜・・・雨。俺は朝十時頃に起き出して、わずかな雨音を聞いた。今日と明日は週休である。
  季節は紅葉へと向かっている。大雪山旭岳からは初冠雪があったと、きのう夕方のニュースで知った。高山帯はもう冬なわけだ。
  新聞は取っていない。記事にロクなものがないのだ。しかし、今回は読んでみたいと思った。パチンコ店が営業不能なわけを知りたい。代わりに俺は携帯のウェブサイトを開いた。
 『パチンコ・パチスロ店、9月14日から五日連続営業休止』
  項目のトップだった。俺は中身をスクロールして見た。
   
   ・・・コンピューターのシステムダウンにより、全国で営業休止に追い込まれているパチンコ・パチス  ロ店は、累計で二七〇〇億円以上の売上げ見込みが消えた。原因はいまだ不明。しかし、発端は北海道・札幌市からであることは判明している。なお、先週土曜、13日には、道内店舗で売上金が別物にすり替えられるという事態も発生しており、関係者は首をひねるばかり…。

 「別物って何だ」と思った。偽札かな? たぶん情報統制で発表されないのだろう。
 あまり愉快な気分には浸れなかった。
  あのリナからもらった千円札が何らかの効力を発揮し、魔法によってコンピューターまで狂ったのではないか。説明として理不尽なのはわかっている。しかし、そうだとしか思えない。何しろ、世界魔女協会だ。 

 
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2009年03月16日

アディクション 第2章 母娘の会話 

 「薬が効きすぎましたでしょうか。おかあさま」
 「…もっとも、コンピューターなどという幼児用の玩具をもちいて貧乏人からまきあげて、さらに貧乏にしようという、今の格差社会を生み出した元凶のようなものじゃからな。私はかつてパチンコ業界に力を貸してフィーバーなる機種を当てさせた。それが主上様にばれて、ホレ、この通りよ」
  ある一室、タンスの上からひょいと影が降りてきた。黒猫が
  それと会話しているのが世界魔女協会日本支部・副部長、リナだった。
  昼間だというのに窓は暗幕で閉ざされ、室内は香のジャスミンでほんのりかぐわしい。少女と一匹の間には太くて紅いキャンドルが立っていて、頂上の小さな炎は身じろぎもせず燃えていた。
 「第二段階は、もうそろそろではないですか」
 「これ以上の現実社会の歪みは霊界の歪みにもつながるというもの。富の一極集中を再分配させねば、われにかけられた呪いも解けぬわ。こんどはさらりーまん金融から手をつけようかの」
  黒猫は右の前足で顔をぬぐった。
 「あの健ちゃんはどうします?]
 「しばらくほっとけ。パチンコ屋が休みだと賭けごとはできぬじゃろうて」
 「それもそうですわね。振込もありましたし」
 リナは微笑んだ。
タグ:寓話
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アディクション 第2章  約束

  それでは、正常なギャンブル党とはどのような人物なのだろうか。
  まず、借金をこさえてまでやらない? 深みにはまらず、勝ち逃げのタイミングを心得ている? ギャンブルはあくまで遊びと捉え、楽しむことに主眼をおいている? いや、ほぼ全員が貧乏だからやるのだろう。競馬・競輪・競艇なども基本は同じ。10万円も儲けたら大勝ちだ。
  ギャンブル依存者はここからがちがう。10万円のうち、8,9万円は次回からの投資に回っていくのだ。サラ金に借金があれば返済にいくぶんは回るとは思うものの、自分のように正常な支払いである家賃まで食いつぶしてやるのが病的・強迫的ギャンブラーだ。
  そして深い穴に落ち、にっちもさっちもいかなくなって、果ては刑務所行きになってしまう。
  アルコール・薬物依存症の場合は身体の臓器などがやられるが、ギャンブルの場合は、まず金銭感覚に異常が発生し、終いには精神がやられる。やめようにもやめられない。一発当てたときの快感が忘れられない。
  俺は帰りがけ、銀行へ寄った。行員のいる窓口は閉まっていたので、CD機で必要事項をタッチパネルを操作して送金した。何の変哲もなく紙幣の挿入口が開いて、俺の20万円は知的障害者訓練施設へと消えていった。
 「これでいいんだろうか」と思った。今回はリナに寄り切られた。三十歳も年下であろう少女に負けた。
世界魔女協会だ。 これはたぶん自分だけが知っている秘密だろう。そして・・・。
  水曜、木曜を過ぎても日本全国のパチンコ・パチスロ店のシャッターが開くことはなかった。
  各店のホスト・コンピューターのプログラミングを修正して立ち上げようとすると、ことごとく電源が入らなくなるのだった。
  これで五日連続の休業だ。売上が皆無だったので、全国的には二千億円ものカネが動かなくなった計算になる。
  官僚と政治家が動き出そうとしていた。ことに監督官庁である警視庁はパチンコ・パチスロ業界に少なくない人員を天下りさせていたので、閑古鳥をこれ以上鳴かされると死活問題であった。舞台裏は大騒ぎだった。コンピューター・メンテナンス企業と台を提供するメーカーも。
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2009年03月15日

アディクション 第2章  疑い

  火曜・・・。俺は工場のいつもの席で昼食をとった。
  今日のメインディッシュは赤魚の煮付け。好物ではないが、食は進み、左隣の久保君にきのう夕方のことを話した。「えーっ!?  そうなんすか? きのうの夕方は前川とカラオケ行ってたんでニュース見てません」
  当の前川君は今日は週休である。むろん、おかしな少女と顔見知りであることは隠して。
  その後、職場長の小川さん、親しい山好きな横井さんにも声をかけてみたが、返答は実にそっけないものだった。それはおろか、誰もきのうの放送事故を話題にする人はいなかった。
  自分が狂ったのではと疑った。でも、確かに視覚と聴覚でテレビ画面の少女を見て、演説も聞いたのだ。その日午後は、半分うわの空で過ぎていった。
  また、どこにでもギャンブル好きはいるもので、毎月20万円はパチンコに投資するという老境に近い佐々木さんは二日連続の全面休業にじれてきているようだった。特に明日、明後日が週休なので、やりたい気持ちが強いらしい。
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2009年03月14日

アディクション 第2章  金銭的な浪費

  ギャンブル依存症は金銭感覚を乱す。
  俺は一日で最高でこの前、18万円以上も儲けたが、10万円以上負けたことがある。日毎にくわしい記録をつけていなかったが、勝ちと負けの比は一対二ぐらいではと思う。それが15年も積みかなさり、全体の投資額もゆうに一千万をゆうに越えているだろう。金銭的な浪費はもちろんのこと、時間的な浪費もかなりなものだった。
  出ているときも出ていないときも「まだいける、まだだ」と、台の前でネバるのだ。月給の枠からの逸脱はサラ金詣でへとつながった。貸してくれるときは福の神だが、支払いに窮せば鬼のような取り立てが待っているというのに。
  思い起こせば病状が進んでいった大学時代、アパートの家賃もギャンブルの寺銭に化けさせてまで打ち込んだ。家賃・借金返済の滞納がかさなって、昼間は図書館に逃げ、夕方こっそり帰っては部屋の明かりもつけず、食べていくのにも事欠いたことがある。友達や母親が訪ねてきても居留守を使ったり、押入れに篭もったりした。まるで人生からの逃避同様の時期だった。アパートの扉には赤く大きな字で「借金返せ!」という紙が貼られていたことも。
  今は債務整理も残り半年になった安堵感もあり、そんな“苦労”も少し懐かしく思い起こすことができる。
  それにしてもあの少女=世界魔女協会日本支部・副部長、リナはなぜ何の目的でこちらに近づき、しかもスリップまでさせてパチンコ屋のコンピューターまで同時に狂わせたのだろうか。それと、ひとの不幸を買い取って何をするつもりなのか? また、20万円の振込先「知的障害者訓練施設 清華園」も、実在するか怪しい。しかし、貧乏生活ではあるものの、日常を取り返すにはどうしても振り込まねばならない気がする。
  部屋の電気をつけた。テレビは消した。しんとしておかしいぐらい静かだ。一時のパニックも収まりつつある。
  携帯電話を手に取り、以前バイトで知り合った友達の番号をアドレスから呼び出してかけた。呼び出し音が十回をかぞえてもつながらなかったのであきらめた。六時半を回ったばかりで、まだ職場なのだろうか。いいさ、明日、工場の誰かに今夕の椿事を訊いてみよう。
  
posted by はむじの書斎 at 16:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月13日

アディクション 第2章  現実世界

  俺は二階の自室の窓のひとつを全開した。
  暮れなずむ初秋の空気が渡っている。異常な演説が終わったばかりだというのに、何もなかったかのように外界は日常を送っている。近くのコーヒー焙煎工場のかぐわしい香りが微風にまぎれて漂ってきており、すぐ下の市道を往く人と車の流れはまばら。おかしいぐらいに静かだ。
  「振り込もう」と、この時思った。それですべてが元に戻るんだったら安い金額ではないか。悪夢は断ち切りたい。
  待てよ、俺にとって現実世界は悪夢そのものでなかったか?
  自分で考えた道、実際にあゆんできた道。その二つは大きく食い違っている。
  実際は、まっとうに生きようとしてこなかった。衣食住なんて、かなり前からどうにかなってくれると勘違いしてきたし、ギャンブルも、やってりゃどうにかなると思ってきた。実は骨に骨を折って、やっとオマンマにありつけるのに。借金を抱えたままで両親の許をはなれ、安月給のケーキ工場のパート労働者をやっている。世の中には同年代で十倍も二十倍もの報酬を得ている人間もいるだろう。比べてしまうとますます鬱々たる気分になる。手取りの月給は精勤手当を含めても12万円台だから。
  そこから借金の残債、家賃、光熱水費、携帯電話代を引いたら、月々の自由になるお金は7万円もないのだ。そのうち食費が2万円弱、どうしてもかかってしまう。5万円たらずでは異性とデートする費用も満足に出ないではないか。不幸中の幸いはファッションに疎いことで、しかも十年も前から体型にあまり変化がないので昔の服が着られることだ。
  だが、心の裡(うち)にはギャンブル依存症を飼ってしまった。高校時代終盤から躁鬱の気もあった。
  
 
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