2009年06月28日

ユカリ 由香里  怒濤のフィナーレ

  それからぼくたちは舗道を、どこまでも手をつないで歩いていき、新宿西口公園まで来た。美智子がそれをまのあたりにしたら、きっと妬いていただろう。
 「なあ、由香里」
 「えっ?」
  ぼくたちは冷たい風が吹きすさぶなか、ベンチに腰かけていた。人影はほとんど見あたらない。
 「あそこの話の続きだけれど、君は『いちばん変わるのは人間だ』って言ってた。どうなちゃうんだろう」
 「そうね、簡単に説明すると…。まず磁石を思いうかべてみて。磁石にはかならずN極とS極があるでしょう。2010年代中ごろになると、人間の二極分化が加速して、どうにもならなくなるの。大多数の人間は一方の極に引きつけられたまま、動かなくなってしまう。もう一方の極に行ったわずかな人間だけが、新たな進化に臨めるというわけなの」
 「その、大多数の人間たちは、具体的にどうなるんだい」
  彼女はすこし間を置いた。
 「もう人間とは呼べないわ。人間の醜い部分である、わがまま、唯物主義、高慢、嫉妬、貪欲さなどがすべて寄り集まった、ふた目とは見られない怪物ばかりだわ。未来は個人の想念が外見にすぐあらわれるのよ」
 「…何ともおっかない時代だなあ。しかし、今の時代にだって、その予兆はありそうだ。地球環境をここまで圧迫したのは、もともと人間の貪欲さだろう。物質的な充足を求めるうち、地上から楽園はなくなってしまった。そんな人間は裁かれて当然さ」
 「人間のほんとうの豊かさとは、物質的な側面だけのものじゃない。“支配階級”に属する人びとが、金欲、物欲がらみで覇を競いあい、下々の人たちをないがしろにしたから、地上が荒れ果ててしまったのよ。人間はもともと欲にかられ、野犬のように咬み合いをやるほど愚かではなかったはずなのに」
 「由香里、君は未来でも予言を?」
 「人間のゆくえが、そして地球の未来もおおよそは見えているわ。荒廃した時代だけれど、同時に、人間には新たな飛躍が期待できる、希望の時代なのよ。すくなくとも西暦2033年には月に一部人類が移住するでしょう。いずれは火星を新天地に…」
 「テレビで不倫ドラマやグルメや悪ふざけ番組を見てる場合じゃないな、これは」
 「人間、息抜きもどこかで必要でしょう。しかし、民衆を真実から遠ざけることばかりしてるわ、今の体制は。これが学歴社会の到達点だと思うと、背筋が寒くなるわ」
  冷風がぼくに吹きつけてきた。何というタイミングなんだろう。
 「未来を知ってしまった以上、ぼくも何か力になれないか」
  ぼくは足元の石畳を、靴底でとんとんやった。
 「あなたは受験に失敗したわ。でも将来、学歴なんて毛ほどの意味もなくなる。怪物に変異しないためには、清らかで純粋な心を持つことと、何より体力がいるの。地球環境の激変と、魍魎化をまのがれた人間だけが新たなスタートラインにつくことができるわ。それは一般に信仰されていた価値観が転倒するときであって、各人の霊格ですべてが決定される時代への橋渡しなの。
  耕、あなたにアドバイスしておきたいのは、この半年間で起きたできごとをまとめて、主観を交えて小説にしてみること。それで道が拓けるかもよ」
  16年後のユカリは、容姿ばかりではなく、知性でもこの時代の同世代と比べ物にならないほどだった。話し方はおだやかなものの、説得力は圧倒的だった。
 「そうか、小説か。いつか作家にでもなってやろうかと思ってた」
 「でも、は余計よ」
 「君はこれから…」と、ぼくは尋こうとした。しかし、こっちの心中を察したのか、由香里は機先を制した。
 「私は戻らねばなりません。職権を逸脱するかたちでこの時代にやってきましたが、シャーマンとしての責務が待っているのです」
 そこには威厳のある、別の「由香里」がいた。
 「あなたは“これから”を大事に生きてください。そして遠田美智子さんを大切に。私の眼にはふたりが夫婦になっているのが見えます」
  由香里はすーっとベンチを立った。
 「ま、待ってくれよ」
  惜別の情にひたる間もあたえられず、彼女は大きな欅(けやき)の樹にむかって歩きだした。ぼくの尻は、なぜか磁石のようにベンチにひっついてしまい、身動きが取れなかった。
  由香里は立ち止まり、こちらを向いて微笑んだ。
 「あなたは思考生態系に乱れがあった。だから私の光を分けてあげたわ。手をつないでいたのはそのためよ」
  そのあとに、「誤解しないで」とはいわなかった。
 「ぼくはこの先、君とまた会えるのか」
 「会おうと思えば会えるわ、この時代に生きているユカリには。でも、そっとしておいてあげて…。それより大切なことがある。人間にとってほんとうに怖いのは、大切なことを忘れて生きつづけることよ。それだけはおぼえておいて。さよなら・・・耕」
  一度手を振るなり、由香里は前方に向き直った。そして身体全体が透きとおって、ついに欅の太い幹と見分けがつかなくなった。
 
 暗澹たる灰色の空が割れ、一条のあたたかな光がぼくを照らした。

                                                            了
タグ:人間の未来
posted by はむじの書斎 at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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