2009年06月28日

ユカリ 由香里  怒濤のフィナーレ

  それからぼくたちは舗道を、どこまでも手をつないで歩いていき、新宿西口公園まで来た。美智子がそれをまのあたりにしたら、きっと妬いていただろう。
 「なあ、由香里」
 「えっ?」
  ぼくたちは冷たい風が吹きすさぶなか、ベンチに腰かけていた。人影はほとんど見あたらない。
 「あそこの話の続きだけれど、君は『いちばん変わるのは人間だ』って言ってた。どうなちゃうんだろう」
 「そうね、簡単に説明すると…。まず磁石を思いうかべてみて。磁石にはかならずN極とS極があるでしょう。2010年代中ごろになると、人間の二極分化が加速して、どうにもならなくなるの。大多数の人間は一方の極に引きつけられたまま、動かなくなってしまう。もう一方の極に行ったわずかな人間だけが、新たな進化に臨めるというわけなの」
 「その、大多数の人間たちは、具体的にどうなるんだい」
  彼女はすこし間を置いた。
 「もう人間とは呼べないわ。人間の醜い部分である、わがまま、唯物主義、高慢、嫉妬、貪欲さなどがすべて寄り集まった、ふた目とは見られない怪物ばかりだわ。未来は個人の想念が外見にすぐあらわれるのよ」
 「…何ともおっかない時代だなあ。しかし、今の時代にだって、その予兆はありそうだ。地球環境をここまで圧迫したのは、もともと人間の貪欲さだろう。物質的な充足を求めるうち、地上から楽園はなくなってしまった。そんな人間は裁かれて当然さ」
 「人間のほんとうの豊かさとは、物質的な側面だけのものじゃない。“支配階級”に属する人びとが、金欲、物欲がらみで覇を競いあい、下々の人たちをないがしろにしたから、地上が荒れ果ててしまったのよ。人間はもともと欲にかられ、野犬のように咬み合いをやるほど愚かではなかったはずなのに」
 「由香里、君は未来でも予言を?」
 「人間のゆくえが、そして地球の未来もおおよそは見えているわ。荒廃した時代だけれど、同時に、人間には新たな飛躍が期待できる、希望の時代なのよ。すくなくとも西暦2033年には月に一部人類が移住するでしょう。いずれは火星を新天地に…」
 「テレビで不倫ドラマやグルメや悪ふざけ番組を見てる場合じゃないな、これは」
 「人間、息抜きもどこかで必要でしょう。しかし、民衆を真実から遠ざけることばかりしてるわ、今の体制は。これが学歴社会の到達点だと思うと、背筋が寒くなるわ」
  冷風がぼくに吹きつけてきた。何というタイミングなんだろう。
 「未来を知ってしまった以上、ぼくも何か力になれないか」
  ぼくは足元の石畳を、靴底でとんとんやった。
 「あなたは受験に失敗したわ。でも将来、学歴なんて毛ほどの意味もなくなる。怪物に変異しないためには、清らかで純粋な心を持つことと、何より体力がいるの。地球環境の激変と、魍魎化をまのがれた人間だけが新たなスタートラインにつくことができるわ。それは一般に信仰されていた価値観が転倒するときであって、各人の霊格ですべてが決定される時代への橋渡しなの。
  耕、あなたにアドバイスしておきたいのは、この半年間で起きたできごとをまとめて、主観を交えて小説にしてみること。それで道が拓けるかもよ」
  16年後のユカリは、容姿ばかりではなく、知性でもこの時代の同世代と比べ物にならないほどだった。話し方はおだやかなものの、説得力は圧倒的だった。
 「そうか、小説か。いつか作家にでもなってやろうかと思ってた」
 「でも、は余計よ」
 「君はこれから…」と、ぼくは尋こうとした。しかし、こっちの心中を察したのか、由香里は機先を制した。
 「私は戻らねばなりません。職権を逸脱するかたちでこの時代にやってきましたが、シャーマンとしての責務が待っているのです」
 そこには威厳のある、別の「由香里」がいた。
 「あなたは“これから”を大事に生きてください。そして遠田美智子さんを大切に。私の眼にはふたりが夫婦になっているのが見えます」
  由香里はすーっとベンチを立った。
 「ま、待ってくれよ」
  惜別の情にひたる間もあたえられず、彼女は大きな欅(けやき)の樹にむかって歩きだした。ぼくの尻は、なぜか磁石のようにベンチにひっついてしまい、身動きが取れなかった。
  由香里は立ち止まり、こちらを向いて微笑んだ。
 「あなたは思考生態系に乱れがあった。だから私の光を分けてあげたわ。手をつないでいたのはそのためよ」
  そのあとに、「誤解しないで」とはいわなかった。
 「ぼくはこの先、君とまた会えるのか」
 「会おうと思えば会えるわ、この時代に生きているユカリには。でも、そっとしておいてあげて…。それより大切なことがある。人間にとってほんとうに怖いのは、大切なことを忘れて生きつづけることよ。それだけはおぼえておいて。さよなら・・・耕」
  一度手を振るなり、由香里は前方に向き直った。そして身体全体が透きとおって、ついに欅の太い幹と見分けがつかなくなった。
 
 暗澹たる灰色の空が割れ、一条のあたたかな光がぼくを照らした。

                                                            了
タグ:人間の未来
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2009年06月27日

ユカリ 由香里  終章 再会2

  由香里は紙コップの中の、ぬるくなったコーヒーをひと口飲んだ。
  彼女は、「気を悪くしないでね」と前置きしてから、
 「あなたは本来死んでいたのよ、さっき」
  と、いった。
  ぼくは口の中のコーヒーがはばけて、咳込んだ。「うそだろ」と、悄然とした気分でつぶやく。
 「未来を、事情のわかっていない人に説明するのは骨が折れるわ。心の備えができていない人には、とくに」
  ゆるやかなカーブをえがく大窓に面したカウンター席。彼女は外の人と車の往来に目を移し、小雪の降りしきる街の風景を鑑賞した。
  その間はぼくも口を閉ざし、“ユカリ”が超能力少女だったことを思い出した。
 「あなたはあそこで死に、私の結婚相手として転生するはずだった…。だけど、こうなってしまった以上、もう無理」
  由香里は複雑な表情であった。それは、どちらかと言えば「物悲しい」という形容が似つかわしい。
  ぼくは驚愕でアゴをはずしはしなかった。逆に、すべてを受け入れる気になっていた。彼女のもつ艶然とした雰囲気でそうなったのだろうか。
 「どうしてぼくを…、ぼくを助ける気になった?」
 「あなたは、あの納屋にじぶんをかえりみずに来てくれた、あんな目に遭ってまで私を助けてくれた…。だから幼な心に誓ったのよ。『耕に何かあったら、今度はかならずわたしがたすけてあげる』って」
  胸が熱いもので満たされるのを、ぼくは今まででいちばん強く感じた。言葉なんていらなかった。
タグ:恩返し
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2009年06月26日

マイケルが…



 稀代のスーパースター、マイケル・ジャクソンが死去しました。
She is out of my life  という曲がここではふさわしい気がします。
タグ:追悼
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ユカリ 由香里  終章  再会1

  ようやっと事態を察したのは、どこかのハンバーガーショップの2階だった。
  命の恩人は、若く、たいへんな美貌の持ち主だった。ここにたどり着く間に、何人の男が振り返っただろう。それが蒼ざめた顔の、同年代の男の手を引いていたものだから、目立つことこの上なかった。
 「助けてくれて、どうもありがとう」
  ぼくはとりあえず礼をいった。
 「やっと恩返しができたわ。ぎりぎりのところだったけど」
  彼女は、はきはきといった。青いベレー帽を脱ぐと、短めのつややかな黒髪があらわれた。
 「恩返し?!」
  気の動転というパニックから完全に解放されていないぼくは、当惑した。
 「わからないかな。じゃ、これでどう?」
  彼女は背負っていたバッグのなかから“ぬいぐるみ”を取り出した。首筋に縫ったあとがある。
 「……ミミちゃん! どうして君がこれを?」
 「私がこれの持ち主だからよ。私の名は由香里、森川由香里…」
  ぼくは彼女の言葉がすぐに呑みこめなかった。
 「君はユカリの姉なのか?」
 「ちがう。私はあなたに誘拐犯から助けてもらったユカリよ。あれから16年もたって、今はこうだけど。それと字がちがう。理由の由、香水の香、里、この三文字で由香里なの」
 「おれは迎耕一郎っていう。苗字を音読みされると“ゲイ”になって、そちら方面の人と勘ちがいされちゃうんだ」
 「あれ、冗談が出るようになったじゃない」
  自称“ユカリ”はにこやかに笑い、はじめて白い歯を見せた。どっきりするほど美しい。だが、まだだまされているような気がした。
 「ユカリちゃん、去年の秋、あなたに別れぎわ、『わたしとかんけいのある女の人と出会う』って、いってなかった?」
 「…たしかにそういったよ。その関係者が君自身だってのか? 今のユカリはまだ5歳で小学校にも上がっていない。なのに君は…」
 「あなたが変に思うのも無理ないわね。ごめんね、びっくりさせて。真実を話すから、ちゃんと聞いてよ」
  彼女はブルゾンを脱いだ。その下はタートルのグレーのセーターである。緋色のミニスカートの先に、すらりと長く伸びた脚が二本。
  彼女は黒タイツにくるまれたそれを組み換えた。
 「さっきもいったけれど、私は16年後の、西暦2025年から来たの。未来のユカリちゃんてわけよ。世の中すっかり様変わりして、その16年のあいだに何があったかというと、中東で核戦争がおき、アメリカのカリフォルニアは海に沈むし、大西洋の大規模な地殻変動で“ニューアトランチス”が、浮上したわ。日本では、近海の大規模な地震の続発で津波の被害が出たし、東京もそれにやられた。火山噴火もあって、泣きっ面にハチのような状態だった。その中でいちばん変わったのは人間よ。はっきりと二つのタイプに分離した…」
  ぼくは、ぽかんと口をあけて、彼女の口から矢継ぎ早にくりだされる驚愕の未来図を反論せずに聞き入った。そして姑息なことに、一番の関心事を尋いた。
 「ぼくの未来は?」
 と。
タグ:ぬいぐるみ
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2009年06月25日

ユカリ 由香里 終章 危機一髪

  プラットホームの白帯を見る。それは幾重にも瞼の上でかさなり、ぼけて見えた。いけね、これじゃ過労死寸前の中年サラリーマンだ。
  ホームの中ほど、ぼくはほとんど無意識のうちに白帯をまたいでおり、シルバー地にオレンジのラインがある電車がすぐそばまで迫っているのに気がつかなかった。それが鳴らした警笛の音さえも知らんぷりだった。
  運転士は、てっきり自殺志願者だと思い込み、急ブレーキをかけた。
  そのまま線路に落ちていたら、間違いなく轢かれていただろう。腕も脚も胴体とおさらばし、命さえも保証のかぎりではなかった。
  そんな惨状を寸前に救ったのは一本の細腕、だが若くて力強い腕だった。
 「危なかったわ。さ、行きましょう」
  躍動感あふれる声の持ち主は、ぼくの腕を取り、まず、駅の構外へとみちびいた。事態を知った駅員たちが駈けつけてくるより、わずかに早く。 
タグ:予想未来図
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2009年06月22日

ユカリ 由香里  終章  合格発表

  時は流れ、M大の合格発表当日。
  午前9時半ごろ、ぼくは御茶ノ水駅に降り立った。目的が同じなのか、ほぼ同年代と思えるやつらと多くの人ごみにまぎれてホームの階段を昇っていく。
  M大・神田駿河台の本校。近代的な「タワー」の正面。2月末の空はどんよりと曇り、しかも寒かった。ぼくはベンチコートの襟を立てて、“その時”を待った。
  午前10時ちょうど、コート姿の係員が一斉に看板を立て、合格者の名前が掲示された。着ぶくれした人間の集団が、近くでそれを見ようと押し寄せる。ぼくもその仲間に加わった。
  受験番号6119。「文学部」と朱書きされた横の、数字の羅列を目で追っていく。運命の瞬間。

  ぼくはタワー正面から歓喜の声を背に、駅方向にとぼとぼと戻ろうとしていた。
 「矢折れ尽き果てた」、とは、今のぼくのためにあるようなコトバだった。
  寒々とした鉛色の空から白い使者が舞いおりてきて、ぽつりぽつりと肩で水滴になる。
 「ありがとう、空よ。君もぼくのために泣いてくれているのか」、などと文学的感傷に浸っている場合ではなかった。
  コートのポケットからしわがれた紙パッケージを出し、人差し指と親指とで、円筒形のものを探った。   
最後の一本に百円ライターで火をつける。やけにほろにがい味がした。「最後の大学受験」翌日からおぼえたタバコだった。手がかじかむ。
  受験前日からは、神経が逆立ってしまい、ぼくは不眠症になっていた。これで11日間ぶっ通しだ。
 「家に帰ってそのまま横になるか。それとも親に連絡を入れるか…」
 ぼんやりとした頭で、御茶ノ水駅に向かっていく。
 親父もおふくろも、さぞかし手ぐすね引いていることだろう。普通なら「それは残念だったね」となるところが、ぼくの場合は「よしよし、それじゃすぐ仕事だ」なんてことになるんだろうな。
 逆に、美智子は残念がるだろう。正月に一時帰郷したとき、彼女は合格祈願にお守りをくれた。合わせる顔がない。
  
タグ:歓喜の声
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2009年06月21日

ユカリ 由香里 第6章  回復2

  9月13日、夕刻・・・
  おふくろはすでに北海道に帰り、ぼくは病室で静かに参考書をめくっていた。「退院まであと二、三日」と主治医からは言われていた。
 「おっす! 耕」
 5歳の少女が入ってきた。
 「おう」
 ぼくとユカリは、片手をあげながらあいさつした。4度目のお見舞いだった。
 「どした? 今日は」
 彼女の母が入ってくる。
 「私たち、こんど引っ越すことになりまして、そのごあいさつに参りました」
 真理は改まった態度で、折り目正しく一礼した。
 「そうですか。よかったですね。埼玉に戻られるんですね」
 一抹の淋しさをこらえて答える。そして、合格祈願のお札をもらった。
 「ユカリが、何かいいたいことがあるそうで…」
 「何でしょう、姫君さま」
 「あのね・・・おにいちゃん。らいねんの春、すてきな人に出会うはずよ。その人はあたしとかんけいがある女の人で、その人のいうことを聞けば、幸せになれると思うの」
 「これ、この子ったら、またおかしなことを…」
 母親は困惑した。
 「いいんです…。それで、ユカリと関係がある人って誰なんだい」
 軽い調子で尋く。
 「うーん、よくわかんないけど、きれいな人みたい」
 「それだけ?」
 「うん…」
 「じゃ、その時まで首をながーくして待てばいいんだね」
 「でも、それじゃつるになっちゃうよ」
 彼女の母もぼくも思わず吹き出した。同じ病室の人たちもにこにこしている。彼女は当部屋のアイドルの座を確保していた。
 「ほんとうにいろいろとお世話になりました。私もこの子も、ご恩は一生忘れません」
 母親は深々と一礼した。ユカリもちょっと頭を動かして、母の挙動をまねた。
 「勉強のほうはどうなさるの?」
 「退院したらすぐ、本格的に再開です。もっと涼しくなってくれるといいんですが」
 「がんばってくださいね。合格するよう、祈ってますから」
 「ありがとうございます」
 「がんばってください」
 ユカリは僕の頬にチューをした。
 二人が病室を出ていく。さわやかな風が通り抜けていったような気がした。
 
タグ:お見舞い
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2009年06月20日

ノイズ〜久々の日記 

  I can get no satisfaction
  ストーンズのヒットナンバーです。
 いまの私がまさにこれで、ないものねだりばっかりしています。
1.紙とプラスチック
2.木とシリコン
3.石と金属(黄金以外)
4.黄金とダイヤモンド
 現文明は上記の「1」
 私自身、また周囲も「1」
 いつしか「4」になれますように。とくに心が。

 現在の掲載 「ユカリ 由香里」はもうすぐ大団円。よくもここまで連載できたものです。
 これが終わり次第、また旧作のWeb配信かな、って思います。
タグ:ノイズ
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2009年06月18日

ユカリ 由香里 第6章  回復1

  それから、病院のベッドの上で目をさますまでの経過は、よく憶えていない。
 「あっ、おにいちゃんが目をあけたーっ」
  ユカリは母親に付き添われて、ぼくの横にいた。そのことが「現実」を思い出させた。
 「あれから何日…?」
 「きょうは9月6日だよ」
 ちがう方角から、聞き馴れた声がした。おふくろだった。
 「ばかだね、あんたって子は」
 「ごめんよ」
  おふくろは涙ぐんだ。
  9月4日、あそこで大立ち回りをやり、負傷しながらもユカリを助けたぼくは、彼女に励まされながら歩いていって、近所の民家に助けを求めたという。
  ある総合病院の外科で開腹手術を受け、集中治療室(ICU)を出たのがつい1時間前らしい。あれから丸二日がたっていると聞いて、あらためて「とんでもないことをやった」と、われながら呆れた。
 「すいません。あそこの方は?」
  病室の戸口にさっきから立っている中年男性がいたので、気になって尋いた。
 「うちのおとーさん」
  少女はあかるく、元気に答えた。
 「お恥ずかしいんですが、こんどの事件で、いろいろと力になってくれまして、『やり直そう』って、言ってくれたんです」
  母親はすこしもじもじし、頬を桜色に染めた。
 「よかったじゃないですか」
 「はじめまして、堀川といいます。娘を助けだしていただきまして、何とお礼を申し上げたらいいか…。言葉もありません。本当にありがとうございました」
 歩み寄ってきた堀川さんはぼくと、そしておふくろにも頭を下げた。
 「それにしても、どうやってユカリの居所を…?」
  ぼくは答えに窮した。
 「その…、何ていうか、ぴぴぴと来るものがあったんです」
 と、いいわけし、ユカリは、
 「あたしがおにいちゃんに“助けてほしい”って電波をおくったから、来てくれたのl」
  ぼくは少々ぶったまげたが、周りの人間たちはそれを通りすぎて、狐につままれた。
  その翌日、ぼくの証言で犯人が捕まった。
  浅草近くをうろついていたその男は、警官に職務質問を受け、それを振り切って逃走に移るも、警察の連係プレーで、その滝本勝容疑者(25)は間もなくお縄になった。けっこう大捕り物だったそうだ。
  滝本は中学時代から暴行、窃盗などの非行をかさねており、保護監察処分を受けたことがあった。小学生の時分、母親が外に男をこしらえて失踪しており、彼もまた欠損家庭のなかで育ったのだった。成人をむかえても同年代の女性とは満足に口も聞けず、また相手にされなかった。ますますいびつになった彼の精神は、ついに幼女に手を出したのだ。未解決の二件の幼女誘拐・殺人事件についても、神奈川県警では関連を追及している。
  ぼく自身もテレビ・新聞ネタになり、「浪人生、幼女救出と犯人逮捕に大金星」などと、勝手に騒ぎたてていた。傷が日に日に回復していくなかで、数多くインタビューを申し込まれたが、すべて断った。それに応じているよりも、英熟語のひとつでも余計に憶えたかった。おふくろには自宅から参考書や問題集を持ってきてもらい、ベッドの横はそれの山になった。
  警察からはユカリを助け、犯人逮捕に貢献したとして、感謝状と記念品を贈られた。ただ、
 「あまり無茶をしないこと。今後、同様のケースに出くわしたら、まず警察に通報するように」と、釘をさされた。
  事件を聞きつけた北の故郷からも連絡が入った。
 「迎くん、見直したわ。ほんとはそっちに飛んで行きたいけど、傷、早く直して志望校に受かってね」
 これは遠田美智子からのメッセージである。
 
タグ:犯人逮捕
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2009年06月16日

ユカリ 由香里 第6章  格闘

  たったひとつのガラス窓から漏れてくるわずかな明かりだけを頼りに、周囲を見まわす。がらんとしているようだ。上から、ひそひそ調の人の声がした。幼い女の子の声だ!
  暗さに馴れてきた目で二階に通じる階段を見つけた。
  どうやら事件の核心に迫ったようだ。口からせり出してきそうな心臓を、「落ちつけ、落ちつけ」と、見えない手で押しもどした。
  ぼくは抜き足差し足で、小さくきしむ音に注意をはらいながら、一段一段、それを昇っていく。
 「なあ、ユカリちゃん。今度は何して遊ぼっか。この前みたいに、また裸になってくれるかな」
 「いやーっ!」
  男の台詞は普通じゃなかった。
  ぼくは階段のてっぺんの壁にはりついて、そいつの異常な願い事を聞いた。
  汗がとめどもなく噴き出してくる。それを右手の甲でぬぐう。その直後、ぼくは失態を犯した。
  肘を壁にぶつけ、ばき、という音を出してしまった。男は異常な会話を中断し、まっしぐらにこっちに向かってきた。
  どういうわけか、ぼくは開き直り、木戸を遠慮会釈なしに勢いよくあけた。
  怯えていたユカリの両目も大きく見開かれた。白馬の騎士、いや、白馬のおにいちゃんの登場に。吊りさげられたランプの明かりがゆらめく。
 「うおおおーっ!」
  ぼくは野郎のどてっ腹に頭突きをお見舞いしていた。
  そいつは後方の段ボールの山に飛んだ。埃がもうもうと立ちこめる。ぼくも前方に突き伏しそうになる。
 「このやろうっ!」
 男は紙製のブロックを両手でかきわけて立ちあがった。激昂してジャックナイフを抜く。
 柱のひとつにくくりつけられていた少女は固唾をのんだ。ぼくはそれの放つ冷酷そうな光に、どうしても目が行った。
 ナイフよりも陰惨な光を眼に宿した男が、それを持つ手を右に左にひらめかせながら切りつけてきた。
 それは4,5回空を切った。ぼくはとっさに、床に転がっていた角材を投げつけた。それは命中しなかった。
 「ユカリを放せ!」
 あらんかぎりの大声で叫んだ。
 「うるせえっ」
 棒立ちになっていたぼくに、そいつは躍りかかった。鋭い痛みと灼熱感とが左脇腹に同時に走って、その場にへたりこむ。
 「へっへっ、ひへへっ」
 男は気管がつぶれたような声を出し、対戦相手の脇腹に突き立てられたナイフを血走る眼で見た。それにかえって気押されたのか、突然自分の犯した罪の重さに目覚めたのか、ゆっくりと二、三歩あとずさったあと、あわてて身をひるがえして、ばたばたと階段を降りていった。
 ぼくは脂汗を掻きながらナイフの柄に手をかけ、それを抜いた。白いポロシャツを真紅に染めるものがあった。あえぎながら、よろよろとユカリのもとに近づく。
 自分を傷つけたナイフで彼女の縛めを解いた。少女は顔全体を涙にして、ぼくに抱きついた…。 
タグ:救出
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2009年06月15日

ユカリ 由香里 第6章  驚愕

  午後2時半ごろ、ぼくは生田近くの商店街を走っていた。前方で薄青のつなぎを着た男が、自動販売機からタバコを買っている。その男の顔を見たとき、ぼくは天と地がひっくり返らんばかりだった。
  夢に出てきた男、そのものずばりだったからである。
  男がタバコを胸ポケットにしまい込んで、くるりと背をこちらに向けると、ぼくはそいつを尾行した。
  男は表通りから角を右に折れて、「中川モータース」と、看板が出ている車の修理屋に入っていった。
  脳裡の電球に明かりが灯った。
 「もしや、こいつがユカリの誘拐犯?!」
  物証は何もない。えも言われぬ不思議な電流が走って、そう思った。
  運がいいことに、修理屋のはす向かいに喫茶店があった。
  ぼくはそこの窓際の席に陣取り、結局4時間近くもねばった。そこでやっつけたのはアイスコーヒー2杯と3冊のマンガ本だった。張り込みしながらだったから、マンガは心ゆくまで鑑賞できなかったが。
  夕刻、男は3人の従業員とともに、そこから出てきた。
  そいつがバイクのエンジンをかけたとき、ぼくもまた愛車にまたがっていた。
  オフロードタイプのバイクは丘の坂道を登っていった。
  ぼくは全力で愛車を漕いだが、先行するバイクの馬力にはついていけず、急な坂道の途中で落伍した。
  あえぎながら愛車を押す。左手は住宅街。右手は雑木林である。一度だけこのへんに来たことがあるが、まだわずかに農地があったと思う。夕闇が訪れていて、ちょうど街灯に黄色っぽい光が入ったところだ。
  道が下りになる。丘ひとつを登りきったことになる。
 「だめかあ、やっぱりバイクに追いつけない」
 と、嘆いたとき、右手の林の奥に、納屋のような建物があるのが目に入った。なんと、追跡していたバイクがその前に停まっているではないか。
  ぼくはその入口から、そっと内部に踏みこんだ。
タグ:張り込み
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2009年06月14日

ユカリ 由香里 第5章  小旅行 

  何もしないより、何かした方がましだった。
  ぼくは朝日を浴びながら駐輪場に行き、愛車のマウンテンバイクのチェーンを解いた。
  小旅行の始まり。きのうの酒がまだ残っていて脚がよろけたが、めげずにペダルを漕いだ。
  いくつか角を折れて世田谷街道に入る。車の渋滞。朝の清爽な冷気ではなく、汚れた排気ガスをたっぷりと吸い込んだ。
  道路事情の改善が追いつかないのをわかりきっていながら、ひたすら車の増産に走った企業と、それらを嬉々として購入した「お客様」の責任だ。
  そんな問題意識が頭の中を占領する余地はなかった。それ以上の心配ごとがあったからだ。身体もしんどい。
  玉川学園、柿生を抜け、百合ヶ丘へ。車はのろのろだが、こっちはちょっとの道幅があるだけで大丈夫だ。渋滞で渋面のドライバーたちの車をゴボウ抜きしていくことだけが、せめてもの快感だった。
  両脇に多摩丘陵が迫り、残暑の風が竹林をゆるやかにかき回す。
  啓のアパートの近くを通った。訪れる気がしない。ガス爆発・・・一階の住人はケガだけですんだようだが、そのとばっちりで親友は死んだ。何てこった。
  ぼくは多摩川に出た。JR南武線と小田急線が交叉する鉄橋を見て、川べりを愛車を押してあるく。
  腹が減っているのにようやく気がついて、コンビニからおにぎり二個と冷えたウーロン茶とを買ってきた。コンクリートの護岸に腰を下ろして、遅い朝食を摂った。川面を渡る風は、家で扇風機に当たるより爽快だ。
  そこでしばらく物思いにふけってから、ぼくはようやく重い腰を上げた。
 「帰ろう」
  そう思ったときはすでに、太陽は天の一番高い座から降りようとしていた。
タグ:渋滞 多摩川
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2009年06月13日

ユカリ 由香里 第5章  ビジョン

  受験勉強の新たな意気込みは、どこかへふっとんだ。夜の10時ころ、近くの酒屋からウイスキー1本を買い、そのままラッパ呑みした。
  12時を回っても、いっこうに眠くならない。回ったのは質の悪い酔いだけだった。
  まんじりとしない夜。この前のデート前日のものとは気分がまるで正反対だった。
 「無事に戻ってくれ」
  ぼくに今できるのは祈ることだけだ。
  そこは薄暗かった。
  使われていないどこかの倉庫のようで、埃をかぶった段ボール箱だとか、木箱だのが無造作に置かれてあった。
  ぎしぎしと、階段を昇るような音がして古い木戸があけられた。登場したのは見たこともない男だった。一見すると24,5歳か? 工場かどこかの従業員らしい。うすいブルーのつなぎを着ている。それには靴墨のような汚れが何ヶ所かについていた。
 「やあ、機嫌はどうだい? オレンジジュースを買ってきてあげたよ」
  男はプラスチックの半透明なコップに、それをなみなみと注いだ。
  目をあけると、ぼくはテーブルの上に腕を枕にしていた。すっかり眠りこけていたらしい。すぐ近くに、残りすくなくなった琥珀色の液体が入っているボトルがあった。
  吐き気を催した。ぼくは流しで前かがみになった。
  胃のなかのものを処分して、顔を蛇口の水で洗い、今いる場所を見回した。
  いつもの見馴れた部屋。なら、さっきの光景は何だったのだろう。男の顔。とくにあの目は忘れられない。つめたく歪んだ光があった。
  時計は朝の6時半前。玄関まで行き、朝刊を取ってくる。社会面を見たが、案の定、ユカリのことは一行も出ていなかった。
  おととい、9月2日の夕方、ユカリはいつものように母親に連れられ、家に戻った。夕飯のカレーライスができるまでの間、「いってきまーす」と、彼女はひとりで近くの児童公園に行った。彼女は暮れなずむ公園の砂場で「お城」をつくっていた。そこで消息は途絶えていた。
  帰りがあまりにも遅いので、心配になった真理がそこへ行くと、砂のお城だけが残されていた。
  以上が、後日知った事のいきさつだ。
タグ:不審な男
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2009年06月11日

ユカリ 由香里 第5章  大事件

  ぼくは羽田に向かう機内で遠田さんのことを思った。
 「ときどき電話したり、メールするから」と、お互い約束し合って、彼女は「合格祈ってるから」と言ってくれた。
  甘い期待もそこそこに、「決戦まであと半年、やらねば」と、気を引き締めていた。次の大事件が待ち受けている、などとはこれぽっちも知らずに…。
 『ガーデンテラス町田・B棟』5階にあるわが家の玄関をあける。
  窓を閉め切っていたので、熱気が室内に充満していた。どさっと荷物を手から解放して、がらがらとサッシを全開した。
  熱気を帯びた微風だったが、ひと月前と比べると、ややさわやかになったような気がした。暦のうえではとっくに「立秋」をすぎている。
  床にべたっと大の字になる。「気合を入れないと」などと、天井としばらくにらめっこをした。
 「そうだ、おみやげ…」
  旅行カバンから、新千歳空港で買った地元の銘菓を出した。
  森山家の呼び鈴を二度鳴らすと、ユカリの母親が顔を出した。
  様子が変なのはすぐにわかった。目も、そのまわりの赤く腫らしている。母の頭ごし、居間に地味なスーツ姿の男がふたり。ひとりはソファに腰掛け、もうひとりは窓際に立ってたたずんでいた。
 「お母さん、どうしたんですか」
  とりあえずお土産を渡して、事情を尋いた。
 「あら迎さん、おひさしぶり。お元気でした?」と、彼女はいわなかった。
 「うちの娘が…ユカリが…」
  ただそれだけを、泣き声でいった。
  奥から男のひとりがつかつかとやってきて、
 「ああ君、引き取ってくれないかね」と、高圧的に迫られた。
 「ユカリちゃんが、ユカリがどうしたんです!」
  男の忠告に耳を貸さず、ぼくはユカリの母にただした。
 「ゆ、誘拐されたんです」
  母が上ずった声で告げる。ぼくは頭をハンマーでなぐられたようになった。
 「誘拐…!? いつのことですか」
 「君、もういいから家に戻りたまえ」
  その男は刑事らしい。
 「いつから、ユカリは…?」
 「きのうから行方不明なんです。ついさっき『娘はあずかっている』と、連絡が入ったばかりで…」
  血が頭から、下にさあっと退いていった。
  ぼくは刑事に追い出された。
タグ:誘拐
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2009年06月09日

ユカリ 由香里 第5章  デート 

  喫茶パッションの席についたのは、約束の6時より20分も早かった。
  水入りのグラスに何度も口をつけているうち、氷だけになった。それを手でからからとやっていると、ウェイトレスが水を注ぎ足しにやってきた。彼女もやってきた。6時から3分ほどすぎている。
  ベージュのスーツ姿。短めの髪に、やや切れ長の目。遠田美智子はちょっと息を弾ませていた。
 「ごめんなさい。すこし遅れちゃって。でも残りの今日の仕事は後輩にまかせちゃったわ」
  わずか数分の遅れなのに、すまないと思っているのだ。
 「ぼくはアイスコーヒー。遠田さんは?」
 「私もそれで」
 「アイスコーヒー二つですね」
 ウェイトレスは感情のない人形のような顔で、そそくさとペンを走らせ、卓上の、短い透明な筒に紙片をまるめこんだ。
 「話は青池さんから聞いたよ」
 「杏子、何て…?」
  二人の会話が始まった。
 ユカリのこと、親友の死、文学部めざして宅浪していること、住んでいる町田のこと、ぼくはいろいろと話した。
 遠田さんは高校を卒業後、『北光信用金庫』 に勤めていた。高校時代はバレー部のセッターであり、2年生からレギュラーだった。信金では窓口係をやっていて、「その日の集計で1円でも狂いが出ると帰れなくなる」と、彼女は言う。
 きのうぼくは夜の9時すぎに電話したのだが、「家に帰ったばかり」だとのこと。
 彼女は高校時代からすると、垢抜けていた。
 おとといのクラス会でも印象の変わった女の子が多かったように、彼女も大人びていたし、きれいになっていた。
 「きょう、会社に杏子から電話かかってきてね。二次会で一曲歌ったんだって?」
 「うん、誰も聞いてなかったようだけど」
 ぼくが頭を掻くと、彼女はぷっと吹き出した。
 啓にぶちあげたようなカタい話は、ここには似合わなかった。大事なのは、「これから二人はどうしたい」ということだった。
 「浪人中だし、近々あっちに戻らないと」
 言いたくはなかった。しかし言わないわけにはいかなかった。
 「そうなのよねえ」
 と、彼女は両手でこぶしを作って、頬杖をついた。
タグ:トキメキ
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2009年06月07日

ユカリ 由香里 第4章  郷里で4

  翌日、ぼくは昼近くに起き出してきて、逆立った髪の毛を手で直しながら歯をみがいた。二日酔いである。
  朝昼兼用の飯を食い、昨晩青池さんからもらったメモ用紙に目を通した。遠山美智子・・・090−〇・・・-・・・・。
  ためらいがある。勉強も亡き親友のこともおっぽり出して、電話することに…。
  その日はぼけらっとした頭のままで暮れていった。夕食をすませて、ぼくは決心した。
  呼び出し音が6回ほど続いて「彼女」が出た。
 「あのう、迎っていいます。遠山美智子さんですか」
 「はい、そうです」
 「あ、あの、きのうは満足に話もできなかったね」
  その文句は事前に考えていたものと大幅に違っていた。
 「私も話ができなくって…」
 「話、しないか? いつがいい?」
 「いつでもいい」
 啓に申しわけないが、ぼくは『やった』と、心のなかで快哉を叫んでいた。
 「急だけど、明日、どうだい」
 「明日・・・いいわ」
 彼女は照れくさそうに言い、ぼくは、
 「じゃ、明日の午後6時に、駅前の喫茶パッションで」と、それ以上に照れながら告げた。
タグ:高鳴る想い
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2009年06月06日

ユカリ 由香里 第4章  郷里で3

 「なあ、耕、二次会行こうや。ひさしぶりに会ったんだからよ」
 相変わらず誘うのがうまい。
 「どうすっかなあ」
 ぼくは、思わせぶりにとぼけた。
 結局、カラオケ付きのスナックみたいなところに行った。
 二十数名の大所帯が、ボックス席を占領してわいわいやる。ぼくはその末席でうすい水割りをちびちびやっていた。遠田さんは一次会だけで切りあげており、そこにはいない。気がつくと、隣に青池さんがいた。彼女は遠田さんと仲がいい。
 話題は急遽、ぼくのマドンナのことになった。
 「美智子ね、失恋したばっかりなの」
 何が言いたいんだろう。
 「私ね、知ってるのよ。迎君が美智子に気があったことぐらい…」
 「そうなの?」
 ぼくは女言葉で答えた。
 「美智子は、ほんとは迎君のこと、好きだったんだって」
 彼女はタバコを円い灰皿でもみ消した。
 ふつうだったら、両手を挙げてバンザイしていただろう。
 「…浪人中だし、友達にも不幸があった。だから時期が悪いよ。つきあうんだって、こっちから東京だって、距離が離れすぎてるし…」
 「迎君は美智子のこと嫌いなの?」
 「…いや」
 「だったらいいじゃない。男のくせに、何もじもじしてるの。一回ぐらい会ってあげてもいいでしょ」
 「迎、歌え!」
 正面にどっかりと腰を下ろしていた塚越から声がかかった。
 「いいって、いいって」
 ぼくは両の手のひらをかざし、「ダメ」のポーズをした。
 「むかえ、むかえ!」
 事もあろうに、奴はぼくの苗字を連呼しはじめた。周りの男どももハモる。
 ぼくはしぶしぶ、手渡されたリモコンから曲を発信した。
 「おっ、迎君。オハコは何かな」
 ぼくは宴席の端のステージに立ち、チャゲ&アスカの『天気予報の恋人』を歌った。ボックス席のみんなは歌よりも会話に夢中で、最後に拍手されただけだった。何やってんだか、喪中の男が。
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2009年06月05日

ユカリ 由香里 第4章  郷里で2

  クラス会当日。ぼくは夕方の5時半ころ家を出た。
 『迎土木建設工業』の看板が西日に映える、三階建ての社屋を横目に、雑種の愛犬『ウォン』の頭をひとなでする。命名の由来は「ウォン」と吠えるからである。
  会場の『大将亭』の座敷には、すでにおおぜいの“元”級友たちがひしめいていた。スーツ姿あり、ラフな着こなしあり、女の子たちはみな着飾っていた。ぼくはというと、青色のポロシャツに白っぽい麻のジャケット、腰から下は薄茶色のコットンパンツである。
 「おう、迎、どうしてた」 「おっす」などとあいさつして、ぼくは卓球部の同期でもあった野村の横の席についた。
  上座には二、三年生の担任だった土方先生。先生の手短なあいさつのあと、乾杯。宴会が始まった。
  宴がすすむにつれ、みんなの口も滑りがよくなってきた。「やせたな」 「ちょっとやつれたんじゃない」などと、なつかしい赤ら顔たちから声をかけられた。
  遠田さんは、ぼくのところからは対角線上のわりと離れたところで、女の子どうしで話に花を咲かせていた。
 「親友が死んだ」というショックから完治していないのと、「まだ浪人中」の後ろめたさで、ぼくは定位置のままで地味にやっていた。周りは、あっちに行ったり、こっちへ来たりして大盛況である。
 「宴もたけなわですが、ここいらで一次会をお開きにしたいと思います。それでは先生、乾杯の音頭を」
  場を仕切るのがうまい、幹事の塚越が、残りすくなくなった髪の毛の土方先生にバトンを渡した。
  宴は先生の乾杯の音頭と、全員が起立しての三本締めで終わった。
  ぼくは遠田さんと親密に話をしたわけでもなく、「義理は果たした」という気持ちで席を立ち、帰ろうとした。腕をつかまれた。すっかりいい気分になっている野村だった。
タグ:クラス会
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2009年06月04日

ユカリ 由香里 第4章  郷里で1 

  札幌で法事に出席した日もふくめ、五日間ほどは食事も満足にのどを通らなかった。ぬけがらのような日々を親許で送るなかで、啓を失った、あの日のことが浮かんでは消えていった。
 「ああしていればよかったのに…」
  その思いは星の数だった。たとえば、あの爆発の直前、ゴムタイヤが焼けこげるような臭いがたしかにあった。それが爆発の危険があるとわかっていれば…などと。
  啓とすごした四日間、ぼくはぼくなりに最善をつくした。しかしあの日、ユカリが彼にあんなことを宣告しなければ、あの最悪の事態は避けられたのではないか。とも。
  だからぼくは現地での事情聴取と葬儀のあと、森山家にあいさつもせず、逃げるように帰郷したのだ。
  自分を責める気持ちとユカリに対する恨み、いや、運命に逆らえなかったふがいのなさに、どうにかなりそうだった。両親はそんなぼくを見て、「はれもの」を扱うような対応だった。  
  勉強するわけでなし、虚ろな日々を送っていたところに、高校の元同級生から電話がかかってきた。塚越という、わりと親しかった奴だ。
 「来週の30日、同窓会をやるんだけれど、来るか」
 ぼくはまず、身の上話をした。
 「…そうかあ。たいへんだったな、それは。でも、いつまでもお前が沈んでたって、その死んだ友達が浮かばれるってわけでもないだろう」
 彼のそのひとことは、闇に一条の光を見た思いだった。
 「それに、遠田さんも出るっていってたよ」
 遠田さんは、高校時代のマドンナだった女の子だ。彼女には思いを告白できずに卒業してしまったが、親しい友達、二、三人には彼女のことを打ち明けていた。いま、何をやっているのだろう。
 「気分転換に出てみるのもいいな」
 と、ぼくは意思表示して、受話器を置いた。
 その日の晩は久しぶりに食欲が回復して、ぼくはもりもりとおふくろの手料理をかたずけていった。いつもは現場の残業などで帰りの遅い親父も、今日はなぜか早めに帰宅して、「一家団欒水入らず」の晩餐になっている。
 「おっ、今日は元気だな。あまりくよくよしても始まらんしな」
 親父をイメージするに、一番近い有名人は田中角栄である。『迎土木建設工業』の社長はきっぷがいいが、怒らせるとすさまじい。
 「あまり無理しなくたっていいのよ。勉強も中断してるようだし」
 おふくろに近いイメージをもっている人は? と尋かれてもなかなかむずかしい。あえて言うなら、京塚昌子あたりか。ちょっと古いかな。
 「ほんと、いろいろなことがあったよ」
 ぼくは話をはぐらかそうとした。
 「無理せんでええぞ。大学なんぞ行ったって、アタマでっかちになるだけだからの。いつでも帰ってきたらええ」
 海べりの町出身の“浜言葉”丸出しだ。
 「受験は? 勉強はどうするんだい」
 「クラス会が終わったら、あっちへ戻る」
 「向うはまだまだ暑いんでしょうに。こっちで勉強したら?」
 「参考書も問題集も、全部あっちなんだ。今さら買いそろえるわけにもいかないだろ」
 その席では親父だけがうまそうにビールを飲んでいる。
 「ま、何はともあれだ。浪人の身分もそう永くやっておれんだろう。来年の春まで結果が出せなければ、そのあとは家の仕事をおぼえてもらうからな。そのつもりでおれ」
 今までの言い方とはちょっとちがう、高らかな、そしてきっぱりとした宣言だった。そんなに継いでほしいのか。
 ぼくは少々あせりを感じた。
タグ:マドンナ
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2009年06月02日

ユカリ 由香里 第4章  帰郷

  啓は川崎市の火葬場で荼毘に付された。ぼくは一張羅の、板についていないダークスーツ姿でそれを見守り、急報で駈けつけてきた彼の両親らとともに悲しみに沈んだ。
  初七日の法要は北海道でやるという。
  それは真夏の夢であってほしかった。決してあってはならないことだった。信じられないことでもあった。ユカリの予言が的中したこともふくめて。
 「ごめんなさい」、「すいません」。
  彼の両親や親戚に、何度頭を下げたことだろう。何度謝っても、何度悔いても悔いたりなかった。もちろん、「ユカリという少女の予言が当たったんです」などとは言わずに。
 「明日帰るから。友達が死んだんだ」
  手短に母親に告げた。
  そうしてぼくは北海道に帰った。 
タグ:荼毘
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